10月の園便り

慌ただしく夏が過ぎ、秋の気配が忍び寄っても一息つき暇もなく慌ただしさが去りません。こんな中で「慌」の字のように心が荒れないよう日々を丁寧に生きていきたいと思っている矢先、ちょうど先日、岡大研究生が5~6名見学にいらっしゃいました。本園の環境を見たいということで、お連れして園内を回りながら、各クラスの様子が以前と変わってきているのに気が付きました。いままでは、多くの園児が園庭で元気よく走り回っているか子どもの部屋に行っていて、クラスに残っている人はほんの数人だったのですが、今はクラスでたくさんの子が「お仕事」をやったりはさみ切りをやったりしているのです。来年を睨んで各クラスに棚を整備し教具を増やしているのですが、その成果が早速に現れているなとうれしく思いました。

私が慌ただしくしている間にも、子どもたちは変化した保育室の環境を的確にとらえ、しっかりと自分の歩みを続けていたのです。子どもというものは自分の置かれた環境を的確に自分のものにしていきます。両親の虐待を受けて亡くなった子どももいました。子どもの場合、環境は与えられるもの。少しでもいい環境を子どもたちのために与え、私も心を荒らさないように気を付けようと決心した瞬間でした。  

(園長 大谷)

10月の宗教だより「タラントンのたとえ」(マタイ25・14〜30)

TVに出てくるタレントさん(talent=才能)の語源が、聖書に出てくる貨幣の種類だと聞いたらびっくりでしょう。貨幣から才能?この推移はいったい何でしょう。答えは聖書の中です。この貨幣はイエスが弟子たちに向けて話したたとえ話の中に出てきて、天の国がどのようなものかを伝えています。登場人物はある人(大金持ちで農場主?)と3人のしもべです。この人が旅に出かけるのでしもべたちを呼んで財産の一部を預けます。それがタラントンと呼ばれる貨幣です。初めのAさんには5タラントン、次のBさんには2タラントン、最後のCさんには1タラントン、それぞれ力に応じて額が違うようです。1タラントンは、日本円に換算すると、なんと3000万円ぐらいだったようです。一日の労働が約5000円だったような時代ですから、現在の日本においては、1タラントンと言えども6000万円ぐらいの価値があったかもしれません。そしてこれが当時の最大の貨幣です。これ以上高い単位はありません。

さて、かなり日がたってから主人が帰ってきました。聖書には「彼らと清算を始めた」とありますので、旅立ちの前に預けたというのは、これをもとに何かを始めてごらんという意味があったようです。事はここから展開します。この後どうなったと思いますか?なんとAさんは、何か知恵を使ったのでしょう、10タラントン(倍)にして差し出しました。Bさんも4タラントン(やはり倍)にして差し出しました。しかしCさんは1タラントンのままを差し出します。「あなたが厳しい方だと知っていたので恐ろしくなって土に埋めておいた」のだそうです。これに対して主人はどう反応したのでしょうか?

この話の主人とは、もちろん神のことです。そしてしもべとは、私たち人間一人ひとりです。天の国のたとえ話だといいますが、正確には神さまと人との関係を描いたたとえ話でしょう。主人から預かったタラントンを、切磋琢磨して倍返しで差し出したしもべは、AさんもBさんもとても褒められます。ここで注目したいのは、絶対額ではないということです。2人の金額は全然違いますが、もともと預かった額が違うのですから当然です。どちらも倍ほど頑張ったというところに価値を置いているのです。気になるのはCさんです。どうなったでしょうか。かわいそうにご主人から厳しく叱られるのです。さて、Cさんはどうすれば叱られなかったのでしょうか?他の例に倣えば倍程度ですね。上のマーカー部分をそれぞれ神、才能(能力)、人に置き換えてみてください。私たちの能力は神から預かっているだけで、自分だけでなくそれを社会の為に生かさなければいけないということが分かります。西欧諸国の個人主義はこの理念の上に成り立っているのですね。